モラハラ予備軍男性の僕が、自分のモラハラみと対策について考えてみた | ABYSS 〜 アビス 〜

モラハラ予備軍男性の僕が、自分のモラハラみと対策について考えてみた

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いきなりですが、みなさんは「モラハラ(モラル・ハラスメント)」の正確な定義をご存知でしょうか?

「コトバンク」内の知恵蔵miniの定義は以下のとおりです。

モラル・ハラスメントとは
言葉や態度などによる精神的暴力やいやがらせのこと。略称「モラハラ」。フランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌが提唱し、1998年に刊行された著書(邦訳『モラル・ハラスメント-人を傷つけずにはいられない』)により広く知られるようになった。加害者に加害意識や罪悪感がなく、被害者が自己否定・自己嫌悪に陥るような、巧妙な精神的暴力による支配関係がモラハラの特徴的な点とされている。2002年には、フランスで職場におけるモラル・ハラスメントを禁止する「労使関係近代化法」が公布施行された。(出典:コトバンク

 

先日、職場の同僚と飲んでいて、ふと「俺、モラハラ予備軍だと思うんですよね……」という話をしたら、

「あーわかるわかる」「最近の女性はモラハラみに敏感なので他がよくてもそれで避けられると思うんですよねー」

的な、生暖かい反応が返ってきました。

モラハラという概念が普及した結果、こうして煽りを食ったのか、それとも加害につながらず世間には迷惑をかけていないので良かったのか……よくわかりません。

モラハラという概念の普及

「モラハラ男性はヤバイ」という観念が普及したきっかけは、作家のトイアンナさん、『妖怪男ウォッチ』著者のぱぷりこさん、『外資系はつらいよ』のずんずんさんなどの功績が大きいと思います。

彼女たちは外資系ハイスペ男性などの生態をくまなく観察し、「自称ロジカルな男はモラハラになりがち」という偉大な発見を世に広めていきました。

僕自身も彼女たちの著作を読み、「これ、俺では……?」と思い当たるフシがかなりありました。自分がハイスペかは知りませんが、私立中高一貫男子校〜某国立大学という学校歴などもあって周囲にはハイスペ男性がたくさんおり、そのホモソーシャル(=男性同士の絆が強い)集団のなかでロジカルシンキング的なるものには親和性を持って育ってき(てしまい)ました。

思い当たるフシ

あまり自己開示をしないと面白くならないので自己開示をしてしまうと、自分は大学時代から6年ほど付き合っていたギャルかしこい彼女と別れたあと、しばらくして年下の、自分と同業の女性とそういう感じになってしまっておりました。

元彼女はギャルかしこかったのとまったく別職種だったので特に自分のモラハラみは出なかった(というか超絶かしこくユーモラスな人だったのでそんな余地は生まれなかった)のですが、同業の年下女性となると、普段の会話のなかで出てくるその人の「仕事のできなさ」「認識の甘さ」みたいなところがめっちゃ気になってしまい、事あるごとに「だから甘いんだよ」的な台詞が口をついて出てしまっていたように思います。

もし自分が職場の同僚とかだったらまだしもーーいや、それもダメなのですがーー、彼氏として見ている男性にえんえんダメ出しをされるというのは、今思うとなかなかヤバイと思います。

で、自分としてもそこは危機感を感じ、「このままではダメ出しをし続けてしまう」と思ったこともあり、長続きはしませんでした。

対策

対策としては、「自分のモラハラみが出そうな関係性の女性とは付き合わない」ということになるかと思いました。

しかしそうなると「自分より仕事ができる」もしくは「ぜんぜん違う職種である」とか、そういう方を探す感じになると思うのですが、そういう出会いは正直なかなかないし、そもそもそういう出会いを探すような積極性もない。

かつ、モラハラ予備軍男性はたいてい「自称ロジカル」なので、女性と感情的・共感的な関係性を結ぶことがなかなかできない。

また、モラハラ予備軍男性は、多くの場合ホモソーシャルな「自称ロジカル」コミュニティに育っているので、男女問わず親密な関係になる相手には、無意識のうちに「同志」感を求めてしまいます。そうして袋小路に迷い込み、もう5年位が経ちました。

モラハラ気質を身に着けてしまった原因

モラハラ気質になった原因として、「自称ロジカル」なホモソーシャル集団に生まれ育ったということはひとつ大きいと思うのですが、ほかにもいくつか思い当たる原因があります。

ひとつは、両親のうち母親がモラハラ体質だったこと。僕の母は超絶バリキャリで、若い頃は売れない芸術家であった父を養い、かつ3人の子どもを育てた完璧超人でした。それゆえ自分以外の家族に対してはベーシックな接し方がモラハラ。今となっては別に恨んではいないのですが、その影響はモロに受けたと思われます。

また、職業人としてキャリアをスタートした際に仕事を教えてもらった先輩が、まあこれは別にあまりディスる気もないのですが、仕事の教え方が超絶モラハラでした。

それで仕事のスキルを相当鍛えられた、精神的にタフになった部分はありつつも、その影響を無自覚なまま受け、やはり自分の他人に対する接し方も相当モラハラ気質になってしまったかと思います。

余談ですが先日、その先輩と同様に、今やめちゃくちゃ世に憚っていて、編集者出身で某有名カルチャープラットフォームをつくった某社社長の話を聞いたのですが、その方も超絶モラハラだったそうです。おそろしいですね。仕事のできる編集者やコンテンツディレクターは、そういう人ばかりなのかもしれません。

俺たちに明日はあるのか

仕事はもっとできるようになりたい。でも、たとえば付き合う相手にはモラハラみをもって接したくない。

もっといえば、誰に対してもモラハラみを持って接したいわけではない。そこは意識しだいでなんとかなるかなと思いつつ、そこはまだまだ修行の途上です。

実は、短期的な対策と長期的な対策はなんとなく見えています。

まず短期的な対策として、たとえば親しくなった女性に対してはロジカルシンキングな態度で接さない。共感、感情的な部分に対するシンクロ的なものをこそ大事に思う。「同志」として接することは大事だが別に男性同士の関係性と違ってライバルではない、マウンティングしない、助け合う仲であることを強く自覚し、リスペクトを持つ。言葉にすると、そういうことなのかなと思うのです。

長期的な対策としては、自分の中でも大事にしている(無意識に大事にしてしまっている)男どうし=ホモソーシャルな関係性のなかでもっと自己開示をする。

たとえば、『野ブタをプロデュース。』で大ヒットを飛ばした(僕個人はとても才能ある作家だと思っている)白岩玄さん、そして恋愛相談で有名なユニット「桃山商事」代表の清田隆之さんのこんな対談記事があります。つい先月末に出たやつです。

「男性らしさの規範」から抜け出すと“負け組”になってしまう問題 – 「白岩玄×清田隆之」対談(後編)

ここで出ている提案としては「男性どうしでお茶できるようになったらいいんじゃないの」というものです。「男性どうしでお茶ってなんやねん」「飲みに行けや」「なんならフーゾク行けや」みたいな話になりがちですが、そうではなく「お茶」が重要なのかと思います。

僕は「お茶する」「ランチする」がかなり好きなのですが、やっぱり男性は誘いにくいので、先輩や同年代の女性編集者とかに付き合ってもらっていたりします。「お茶」に付き合ってもらうと「きょうは本当に楽しかったな〜」と幸せな気持ちになります。

上で紹介した記事のなかでは、「とはいえ男性どうしの連帯が『俺たちイケてね?』みたいなドヤになるのはそれはそれでダメだよね」「まずは孤独に掘り下げていくしかないのかもね」的な話になっています。

それはそうだよなと思いつつ、不毛なマウンティングなき、「共感」と「自己開示」で構成されるホモソーシャル空間(=男子会)というのも構想してみたいと思うのです。(了)