『すべてはモテるためである』を読んで、正面から向き合う「なぜモテないのか」という課題

どうもこんにちは、ハチです。
今回も「モテ」について考察していきたいと思います。
- ハチの本読んでラヴゲッチュ
- 「理論を先行させるよりもまず行動」をモットーにこれまで生きてきた私が理論的に「モテ」について学ぶことで、より高次のモテを手に入れることができるのではないかと考え、「恋愛」に関連した古今東西の名著やベストセラーを読み、このブログでアウトプットするという連載企画。
これまでハチの本読んでラヴゲッチュでは、「モテるためにはどうすればいいか」ということに主眼を置き、さまざまな書籍を読んで考えてきました。
しかし、「なぜモテないのか」ということについては、深く考えられていなかったことに今更気が付いたのです。過去の記事では、非モテコミット(一人の女性を一途に好きになること)が原因でモテていなかったのかもしれない、という見解を出しているのですが、どうも腑に落ちないところがありました……。
今回、二村ヒトシさんの『すべてはモテるためである』を読み、これまでの考えがいかに甘かったのかを痛感しました。ということで、この記事では「モテない理由」について考えていきたいと思います。
作品紹介
現在AV監督として活躍されている二村ヒトシさんの著書『すべてはモテるためである』。「モテ本」として有名な本書は、「どうすれば女性からモテるのか」ではなく、「なぜモテないのか」ということについて詳しく書かれています。
そして、冒頭でいきなり次のように結論が出されているのです。
あなたが彼女にモテないのは、あなたが「彼女にとってキモチワルい人」だからである。
(出典:二村ヒトシ『すべてはモテるためである』25ページ)
なんと辛辣な結論でしょうか。
しかし何も反論ができない自分がいました。なんとなく自分でもこのことがわかっていて、それでいて目を背けていたような気がしたからです。向き合う勇気がなかったのかもしれません。
そもそも、「モテない理由」についてちゃんと考えられている人のほうが少ないのではないでしょうか。
あなたはなぜモテないのか
男友達と会話をしていて、「なんでモテないの? なんで彼女作らないの?」と聞くと、返ってくる回答はおおよそ次の3パターンに別れます。
「出会いがないから」
「今は必要ないから」
「なんでなんだろうね」
出会いがないから
これに関しては、「出会いを作ればいいじゃん」としか言いようがありません。出会いの場なんて作ろうと思えばいくらでも作れるもので、友達に紹介してもらったり、合コンを開いたり、ナンパしたり、街コンに参加したり……なんでもいいから出会いを作りさえすればいいのではないか、と思ってしまいます。
しかし、このようなことを言うと、「そういう所に来ている女の子はいやだ」的なことを言われてしまいます。呆れてものも言えません。
まるで、出会いさえあれば彼女ぐらい作れるとでも言わんばかりの主張です。自分に責任がある訳ではなく、仕方のない(でも本当は解決できる)理由があるからモテないというのは、やはり「モテない理由」にはならないと思うのです。
もし、そこまでして出会いを作ろうとは思わないということであれば、「今は必要ないから」になるのかもしれません。
今は必要ないから
彼らの言い分はこうです。「仕事が忙しくてそんな暇はない」「別れたばっかりだからしばらく自由になりたい」。
つまり、モテることは可能だが、それを自分が拒んでいる、ということでしょうか。
本当にそうなのであれば羨ましい限りなのですが、ほとんどの場合は「モテないこと」を認めたくないがために取り繕っているだけのように感じます。
これもやはり「モテない理由」から目をそらしているような気がしてなりません。
なんでなんだろうね
このタイプが一番重症です。なぜなら、ほとんどの場合が「なんでなんだろう」をちゃんと考えられていないからです。モテないことはわかっているものの、そのことについて深く考えることなく、手当たり次第に対症療法をとってしまう。
まさしく、自分はこのタイプでした。
特に中高時代についてはひどいもので、一度も彼女ができなかった上に、唯一の大告白で「ハチくんは友達としてしか見れない」と言われたことを真に受け、「ああ、自分はフレンドリーすぎるからダメなのか」という甘々なことを考えているほどでした。
(この出来事については別記事で詳細を書いています)
納得できる答えはやはりひとつしかなく、「キモチワルいから」です。
しかし、だからどうしようもないという訳ではありません。本書では「キモチワルい人」がそこから脱却するための手順が書かれています。
バカか、臆病か、それとも……
本書ではまず、モテない男を「バカか、バカじゃないか」「臆病か、臆病じゃないか」で4種類に分けています。つまり「バカで臆病なやつ」「バカだけど行動しちゃうやつ」「頭でっかちで臆病なやつ」「バカなふりをしているやつ」という4つです。
(本書では、違う言い方をしています。これは、自分がこう感じたというものを書いているだけです)
ちなみに、こうやって書いてみると、バカでもなく臆病でもない「バカなふりをしているやつ」とはつまり、「賢くて行動できるやつ」なのでモテるやつではないか、と思う方もいらっしゃるかと思います。
しかし、ここでの「バカじゃない人」は、「賢い人」ではなく「思い悩んでしまう人」という意味です。つまり、思い悩んでしまい、どうすればいいのかわからないが、とりあえずバカなふりをして行動を起こせばなんとかなるだろう、と勘違いしているキモチワルい人なのです。
また本書では、モテるためには、女性と「同じ土俵に立つ」必要があるとも書かれています。「土俵」が何を指すのかは説明されていませんが、おそらく「キモチワルいと思われない状態」という意味だと考えられます。
ところで、(これも別記事で詳細を書いたのですが)私は大学生のときに、身なりを変えたり、コミュニケーションの仕方を変えたり、いわゆる大学デビュー的なことをしました。
このとき、なぜか一部の女性からモテることができ、奇跡的に彼女を作ることもできました。
おそらく「バカだけど行動しちゃうやつ」に進化したからなのではないかと思います。
正直、女性と同じ土俵に立つ方法もわかりませんでしたし、立てたかどうかの判断もできない状況でしたが、一か八かで告白した女性が、たまたま同じ土俵に乗ってくれていたんだと思います。
そして、バカで行動することもできなかった中高時代の私は間違いなく「バカで臆病なやつ」だったのだと思います。
まとめ
つまり、中高時代にモテていなかった理由は、なんで自分がモテないのかも考えず行動も起こせないやつだったから、だと思います。
では、大学デビューによって行動することができるようになったいま、それでいいのかと聞かれるとそんなことはありません。むしろ、ラッキーなことにそれが功を奏してしまったが故に、味をしめていまでも行動することに頼ってしまっているのです。
女性と同じ土俵に立てているかどうかを気にもせずに、数打ちゃ当たるの考えでやってきた結果がいまなのです……。これでは自分の望む「モテ」とは言えません。
今後やらなければいけないことは、行動することを続けながらも、「女性と同じ土俵に立つ」ための方法を勉強していくということです。
結論としては、そもそものこの連載企画(ハチの本読んでラヴゲッチュ)の趣旨に戻ってしまっているのですが……。ここまできて改めて、行動だけではなく理論的にモテを理解する大切さを感じました。