「ラッキースケベ4事案」記事を拝読して感じたこと | ABYSS 〜 アビス 〜

「ラッキースケベ4事案」記事を拝読して感じたこと

「ラッキースケベ4事案」記事を拝読して感じたことのアイキャッチ

先日、この「アビス」上で、下記のような記事が公開の運びとなりました。

実録!長野出張中に容疑者K氏が起こしたラッキースケベ4事案
 

この「ラッキースケベ」の容疑者とされた私、ケイがこちらの場所をお借りして見解を述べさせていただきたく思います。

良いと思った点

この記事で槍玉に上がった身としてなんですが、まずバナーがかわいい

ちょっと昭和テイストというんですかね。『マジンガーZ』や『デビルマン』で有名な永井豪って、『ハレンチ学園』とか『キューティーハニー』のようなお色気路線のものも描いたりしていたわけですが、そういう感じの仕上がりになっています。

執筆者のサンシャイン花澤氏はデザイナーなわけですが、もちろん永井豪じたいは知らないのではないかと思います。しかし、デザイナーの直感でこのデザインにアレンジするそのセンスが素晴らしいと感じました。

ちなみに一昨年、Netflixで永井豪の『デビルマン』を原作としたアニメ『Devilman Crybaby』が公開されていましたが、こちらも素晴らしい作品でしたので、未見の方はぜひNetflixに入会して観てみてください。

反論開始

と、(某「ドラハラ」記事のように)小見出しを書いてみたのですが、特に反論することはありません。いやらしい気持ちとかは別になかったのですが、そういう解釈もあるんだな、もし嫌な気持ちだったらごめん、特にトイレの件は素で間違えただけなのですが、「すまん……」という感じです。

ただ……少しだけ、「これはあかんな」というところはありました。

たとえば下記の記述の部分です。

新しくできたサウナの宣材写真に使用するため、女性社員たちがサウナを楽しむ様子を一眼レフカメラで撮影していたK氏。

湯浴み着を着たAさんとHさんが、椅子に座って外気浴をしている写真を撮る際、二人が脚を組んできわどいカットになっていたにもかかわらず、注意喚起をせずに「いいですね〜」などと言いながら撮影を続けるなどした。

はい、正直全然気づいていませんでした。

僕は女性の写真を撮るときに、そのへんの男性カメラマンと同様「とにかくかわいい姿を撮らなければならない」と考えております。このときは実際に「かわいい〜」と思いながら撮影していたので「いいですね〜」という言葉が出てしまったのだと思います。

そこには「女性同士が仲良く楽しそうにしているかわいい姿を撮らなければならない」という使命感があったことはまぎれもなく事実であり、それが「事案」としてカウントされるのであれば、ある種、仕方のないことなのかなと思います。

次にこちらの件。

「肌が白〜い、お風呂にはいったあとみたいに顔が赤くなってる〜」
サウナから出てきた女性社員を見たときのひとこと。

これも、同じです。「良い」と思うものは「良い」と素直に口に出す。そういった言動を常日頃心がけているのですが、それがあらぬ方向に解釈される可能性もあるのだなと感じました。

実際に僕は「おフェロメイク」というものに「かわいい」と感じてしまうわけなのですが、それを素直に口に出すためにはは、そういったことを発言してもいやらしい方向に解釈されないような言動を、日々心がけていかなければならないのだと。

最後に、この件。

長野ユニットに所属するHさんが野尻湖にあるシェアハウスを案内した際、「洗濯物あるので入らないでください」と念を押しているのにも関わらず、一顧だにせず「へーひろ〜い、いいな〜」と言いながらHさんの部屋に入り、感想を述べるなどした。

こちらも、単に思ったことを口に出しただけではあるのですが、デリカシーを欠いた行為ではあったかもしれません、大変申し訳ございません。

まとめ

こういった一連の自身の言動を顧みるに、私自身の心の奥底には、「女の子と、女の子どうしのようなコミュニケーションを取りたい」という、現在の世界ではなかなか受け容れられにくいであろう気持ちがあるのだと感じました。

私は中学入学から20歳すぎまで、ほとんど男性に囲まれて育ってきました。そこでは意地の張り合い、勝ち負けにやたらこだわる、お互いをあんまり褒めないでけなしあう、というコミュニケーションが普通でした。

そういった男性同士の弱肉強食・優勝劣敗の世界観で生きていくなかで、「女の子どうしのように、お互いを認めあい、いいものはいいと言い合う」というコミュニケーション様式に、いつしか憧れるようになっていました。

とはいえ、私の性別は男性であり、しかも厄介なことに齢は30を越える時期となりました。年齢的には確実に「おじさん」にカウントされはじめる年代です。そして、そういった「おじさん」が、「女の子どうしのようなコミュニケーションに憧れがあり、自身もそこに入りたいと思う」というのは、やや身勝手な欲望なのかもしれません。

その結果としてこういった受け止められ方をし、いじりの題材にもされてしまうということ。これは仕方のないことだと感じます。

去年ぐらいから、YouTubeでバ美肉おじさん(バーチャル美少女受肉おじさん)が一大ムーブメントとなりました。おじさんが、バーチャル美少女に扮してかわいい行動を繰り広げるという動画ジャンルですね。「〜〜なのじゃー」とか言ってるわけですね。

これはなかなかギリギリなコンテンツなのですが、ギリギリ許されているのはなぜかというと、現実のおじさんが、自分の身体ではなくバーチャル美少女の身体を借りて表現しているからなのだと思います。現実のおじさんがリアルの場でやってしまったら、それは「キモい」「痛い」と受け止められても仕方ないのでしょう。

まとめのまとめ

だいぶ長くなりました。

まとめると、たとえばプリキュアを好む成人男性(プリキュアおじさん)は、プリキュアの少女たちをいやらしい目でみているかというとほとんどはそうではなく、「俺もプリキュアになりたい」という気持ちで見ているのだそうです。だから、いい歳した成人男性がテレビの前で幼女になりきり「ぷいきゅあー!がんばえー!」とか声援を送るわけですね。

私自身、幼児のとき最初にハマったアニメは『ドラゴンボール』ではなく『美少女戦士セーラームーン』でした。ときに傷つきながらそれでも力をあわせて強大な敵に立ち向かうセーラー戦士たちに、少年向けアニメにはない魅力を感じていたのです。そして『ふしぎ遊戯』では、主人公の少女・美朱(みあか)の、弱さのなかにある芯の強さに感情移入し、「鬼宿(たまほめ)に守られたい」とか思っていたわけです。

長じてからは、たとえば『けいおん!』における放課後ティータイムの5人の他愛もない日常に尊さを感じ、『響け!ユーフォニアム』で吹奏楽に懸命に取り組む少女たちの関係性の繊細さと、力を合わせて目標をめざす姿に、男性である自分には経験できない青春の輝きを見ておりました。

しかし、現実において自分もその一員になりたいと思うことには、やはり一定の歯止めを、自分でかけなければならない。そのことを改めて感じた次第です。

少し前、とあるアイドルアニメの声優のスキャンダルが発覚したさい、ネット上に書き込まれたファンのコメントが話題になりました。

「こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった 」

この思いを、私自身も深く感じるしだいです。

しかし、まだ希望は残されています。

今後、『ソードアート・オンライン』や『レディ・プレイヤー・ワン』のように、仮想世界で、現実の自分の身体とは関係ない姿で、コミュニケーションを楽しむことが可能になっていくことでしょう。

今は息をひそめ、時が来るのを待つしかありません。

「来世に期待」という心持ちで過ごしていければと思います。